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非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(2)〜

Update 2022年9月2日

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(1)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(2)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(3)

※この記事は、スピリチュアル関連、神事、仏事などに、全くと言っていいほど知識のない人間によって書かれています。出てくる単語に関しても、意味をきちんと把握せずに使用している場合もあることをご了承ください。誤用している、もしくは、説明の必要な単語や文は記事の最後に解説を入れ、間違いなどがあれば学びを深め、次の回に進めていきたいと思います。また、無知であるからこその偏見も多分に存在することにもご注意いただければと思います。どうぞ存分にツッコミを入れつつ、読んでいただければと思います。


少し拍子抜けしている私をよそに、次男はさっさとお参りを始める様子だ。良く見ると、ギザギザのやつの前には郵便ポスト型の小さな貯金箱が。どうやらこれが、この神社のお賽銭箱のようだ。

賽銭箱あるのか、財布持ってこなかったぞ、と考えていると、次男はいつの間に用意したのやら、ちゃっかり自分のお財布を持ってきていた。そしてお賽銭を入れ、しっかりと礼をする。慌てて私も礼をして、お参りをした。お賽銭なしで。

すっかり慣れた様子で最後の礼を終えた次男の顔を見ると、非常に満足そうである。そして、「賽銭箱がこういうの、いいねえ。なんで母ちゃん財布持ってこなかったの?」などと言う。

私は「自然崇拝=0円」という、超単純な図式を自分の中で勝手に作り上げていた。そして、自然崇拝に対して勝手な好意を寄せている部分があったのだ。

しかし結局のところ、お賽銭なしに参拝したことになぜか物足りなさのようなものも感じている自分がいた。参拝の一連の動き、二拝二拍手一拝の前に、お賽銭をチャリーンと投げる※1動きが無意識のうちに体に染み込んでいるのだろうか。

次男は、「でもどうせならプラスチック製とかじゃなく、木製とかの貯金箱にすればいいのに」と言って妙なナチュラル志向を発揮する。

私のほうは貯金箱の生々しさに笑ってしまいそうになりながら、わかりやすくてむしろいいな、とも考えてもいた。

この場所は、周辺の人たちが草刈りや枝払いなどの手入れをし、守りつづけてきたからこそ現在まで「神社」として存在することができたはずなのだ。だから、この辺のおじさまかおばさまか誰かが「ちょうどいいのがうちにあったわ」という感じで、据え置いた貯金箱の中身はそのまま「維持費」になることが想像でき、なんとなく納得がいく。

しかし、立派な社殿があろうと、自然の中の無社殿でも、人が集い、それぞれの願いを持ちよるだけの場所を維持するには、いずれにせよ誰かの労力が働いていることには変わりはない。

だから、大きな神社でも、お賽銭は維持費と考えれば随分安くすんでいるとも考えられる。

気がつくと私は、いつの間にかお金のことばかり考えていた。

スピリチュアルに行動しようとしているのに、自分のケチさにあらためて気づかされるようで、ちょっと落ち込んでしまいそうだ。

これではいかんと思い、私は、矢倉神社がなぜ無社殿でも信仰の対象になっているのかを感じ取ろうとした。

石の土台の周辺は決して広くない。山肌に囲まれ、木を切り払ったとしても庭付きの家がやっと一軒経つくらいの広さだろうか。そのぐらいの空間に、手付かずに育ってきたのだろう、雑木が林をなし、表の道路にはない薄暗がりを作っている。

木はそこまで密に生えているわけではないのに、その大きさと勢いで空を塞いでいる。大きな木を見上げていると、鈍感な私でも畏敬の念のようなものを感じざるを得ない。次男も、

「ここ、いいねえ」と言い、非常にいい顔をしている。家でゲームをしている時や、奇声を発してふざけている時(このあたりだと『ほたえている』とでもいう状態だろうか)、兄弟喧嘩をしている時とはまるで別人だ。

自然に手を合わせていた。

もしかしたらここは「本物」ってやつなのかも?と思った時、風が頭上の樹々を揺らしてさらさら、と気持ちの良い音がした。そのタイミングで私も次男もなんとなく満足し、神社を後にしたのであった。

※1 チャリーンと投げる : 「じゃらん ニュース」には、「(賽銭を)投げ入れることで穢れをはらうという意味もあるといわれますが、かといって強く投げ入れる必要はまったくありません。心を込めて、ていねいに入れましょう」とある。たしかに、豆まきの豆だったら勢いよく投げるのも良さそうだが、お賽銭はどこかに飛んでいかないように優しく入れることにしよう。そして、神社とかにはとりあえず財布は持って行こうと思った。

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非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2〜自然崇拝=0円?篇〜(3)
次回は、この無社殿の神社ができた経緯とは?

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(1)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(2)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2 〜自然崇拝=0円?篇(3)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか(1)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか(2)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか(3)

♦非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか(4)

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