地域の良いモノ・ヒト・コト・バを発信

紀南Good

日本の食は1.5の中にいる人だけが変えられる

Update 2020年4月17日

ギシギシと軋む、年月を感じさせる板の廊下を歩き、農家さんたちが続々と集まってきました。

和歌山県田辺市・秋津野ガルテン。

廃校になった小学校をリノベーションした、農業を体験できるグリーンツーリズムの世界に誇る拠点です。
開始までには時間があるにも関わらず、いつのまにか教室の中は、ワイワイとお話しする声で賑わっていました。

参加者は43名。スタッフを入れると55名が、少し暗く、小さな教室の中に集まりました。

 

 

開催されたのは「47キャラバン in和歌山」。
髙橋博之さんが、47都道府県を周り、一次産業の未来を語っているイベントです。
これまでに720回を超える開催、1万人以上と語り合ってきた髙橋さん。

そんな髙橋さんが、日本の一次産業を自分の目で耳で感じてきたことをお話ししてくださいました。
長い文章になっています。
髙橋さんの思いをできるだけそのまま伝えるために、できるだけお話されたそのままの内容で記します。
じっくりと噛み締めながら、また自分に問いかけながら読んでいただけたら幸いです。

髙橋博之さんが教室で登壇

「生産と消費」がツルツルになってしまっている。

この椅子に久しぶりに座りました。学校の同窓会みたいですね。大人になってからは木造校舎に入ったことはなかった。秋津野ガルテンは廃校だったということをお聞きしましたが、こういうところで百姓一揆をやれるのは嬉しいことです。

ここに到着した後、和歌山国体のオレンジの帽子をかぶったおじさんに『どこからきたの?』と聞かれたんで、「岩手から来た。」と言ったら、『何しに来た?』というので、「農業の未来について語るんだよ」と答えたら、『農業に未来なんてねぇ。』(笑)
今から話すことを考えたら、身もふたもないなと思ったけれど、僕らはまだ若い。
今日は未来に希望を見出そうという人が集まってくださいました。

僕は百姓ではないが、あえて「百姓一揆」と銘打ってやっているのは、
さっきのおじさんの「農家に未来はない」と言ってしまう現実に危機感を覚えているからです。

 

江戸時代の百姓一揆の多発地帯はどこか知ってますか?
我がふるさと「岩手県」です。

岩手県というのは、四国と同じ大きさで大きい。
どう冬を迎えるかは死活問題です。
度重なる飢饉で食べるものがなく、子供たちが身売りに出されてもいた。
「なんとか自分たちの負担を軽くしてくれ」という話をするために百姓一揆を起こしていた。

現状も形を変えて続いています。
ちょっと前まで国会議事堂の前でトラクターに乗って、ねじり鉢巻して「自由化反対」なんて、農家さんがやっていました。
それが国民の目にも触れ、多少国策にも影響がある。
でも百姓の生活は良くなっていない。

最近は農家さんも「そんな元気はない」「昔はやったかもしれないが、今は疲れてしまった。」という。
若い人は「陳情とか古いし、自分が食えるスタイルを自分が作るんだ」という人が多い。
もちろんそうなんだが、自分が家族を食わせなければならないのはもちろん、地域全体が代々続いてきた営みを続けていかなければならない。
一軒一軒の農家さんや集落や今の歩みを吹き飛ばすくらいの勢いで、今第一次産業が残念な方向に向かって行っている感じがして危機感を覚えています。

カエルをぬるいところから鍋に入れて煮ていると煮ていることに気づかない。
今の日本はそれだ。だんだんとダメになってきています。

大震災で被害が大きかったのは漁村・農村だった。トドメ刺された。
2万人亡くなった。若い人もいなくなった。熱湯の中にカエルが入れられた感じだった。
自分もそれで気づいた。

なんとか更地になった被災地に希望の目を持ちたいと思って活動し始めた。
生産と消費、この分断が社会問題の根っこになるのではないかと考えました。

昔から先人たちも同じことを言っていた。
でもあの時代よりも分断はより深刻になっていると思っている。
「生産と消費」がツルツルになってしまっている。

髙橋博之さん

食べ物を作る仕事がなぜ恥ずかしいのか?

先日の甲子園、夏の大会100回目で神様が舞台を整えてくれた。
「大阪桐蔭」対「金足農業」。
東北にとって甲子園は悲願です。1回も優勝旗が来たことがない。
明治維新で賊軍と言われて敗者の歴史が来ていることもあり、反骨精神でやって来ました。

残念ながら勝てなかったけれど、前回の47キャラバンの開催地だった大阪も金足農業のファンだって言ってくれて嬉かった。

その金足農業、農業高校ですが、卒業後何人が農業に進むと思いますか?
おそらく2人とか、3人とかです。

農業高校で講演する機会がありました。農業高校と水産高校が合併した高校で。
終わった後、学生に聞いてみたんです。
「農業、漁業に進もうと思っている人、手を挙げてください。」
何人あげたと思いますか?

ゼロです。
誰もあげなかった。
逆に農業漁業以外で就きたい職が決まっている人はと聞くと半分くらい手があがったのに。

どうして誰もいないんでしょうか?と校長先生に聞いてみた。
「昔は農家のせがれが来ていた。でもこの地域には農家のせがれがいなくなってしまって少ないんだ」、
「家から近いからだとか、学力の問題で来ているから、農業、漁業のことを良く知らないんだ」と。

僕の幼馴染で仲の良かった友達が、親父に「授業参観に来るな」と言っていた。
他の人は綺麗に着飾って来るのに、畑から軽トラに乗って作業着着て来るからだ。

僕は東京の大学に言ったんだけど、一緒に岩手から出て来た女性がアパレル系の会社に進んだ。
先輩に怒られるときに「東北に帰って農業でもしてろ。」と言われた。農家の娘です。

まぁそれも昔の話だな、と思ってたけど、この間葬式に出たら、孫が弔辞読んでいた。
「おばあちゃんが学校に迎えに来てくれていたけど、恥ずかしいから見えないところに来てくれ、って言ってしまった。」

社会的にはまだそういう時代。
なぜ食べ物を作る仕事が恥ずかしいのか。
農業やっていると胸張っている人がいなかった。
そこが僕はとっても疑問です。

47キャラバン、会場の様子

今や農家は1.5%、身近に生産者がおらず、見えなくなってしまった。

大消費地では全く生産者の姿は見えません。
言葉を強く言えば、無視されている。ないものとされている。
実際に触れると「本当に人が作っていたんですね」という。
それくらい、生産者のことはわからない。

岩手県の花巻でさえ、土をアスファルトに落としていると110番通報されるくらい。
何も東京の人だけじゃない。花巻だって深刻なんです。
通勤をするその横で、農家は仕事をしているはず。だけど目に入っていない。
昔だったら、土が落ちていても、「稲刈りの時期だなぁ」と納得できた。

東日本大震災、僕は大槌町にいた。たくさんのボランティアが来てくれました。
その渦の中にいる多くの人たちが言っていたのは、「生まれて初めて農家に会った」「漁師に会った」ということ。

テレビでドキュメンタリーを見て知っていた。
でも生身の生産者さんには初めて会った。
「生身の生産者さんに会ったことがない」
ここが一番の問題だと思う。

50年前、1970年には農家は1020万人いましたから10人に1人は農家だったんです。
10人の仕事を1人でやれるようになって、職業が変わり、儲かった金で外国から食べ物を買えばいいでしょ、という時代になってしまった。
みんなもテレビも冷蔵庫も欲しい、とその流れに乗った。

現在、農家は200万人を切りました。僕より若い人は12万人しかいない。
離農率が高いのは40歳以下。
この減り方のグラフでは10年後にゼロになる。
ゼロになることはないだろうけれど、限りなくゼロになる勢いで減っている。
その結果、現在の農家さんは1.5%。
98.5%は食べ物を買っている人たち。

そうして身近に生産者がいなくなることで、1.5と98.5の間に関わりがなく、ツルツルになってしまった。
東京の集まりですら、昔は親族などに農家がいた。想像できた。
今は親族はおろか、知人にも農家や漁師はいない。
関わりがないと他人事なんです。

助けにきたはずの都市住民は「生きる」ことを助けられる。

パレスチナ人が逃げ惑っている。悲しいでしょう。
でもテレビを切った途端他人事でしょう?動かないでしょう?
責めているわけではなくて、知り合いがいないからですよ。
知り合いがいたら安否を心配するはずです。仲間に伝えるはずです。

消費者も同じです。テレビでも生産者の苦境を報じるようになった。
でもテレビを切ったらどうでもいい、他人事になる。
それは生産者知り合いがいないからです。
ここがツルツルしすぎているのが問題なんだ。

必要なのはゴニョゴニョの関係。
関わりがあると人ごとでなくなり関心をもち、行動につながっていく。
農家の人と握手して、昼間汗かいて、Facebookで友達になり、そうすると他人事じゃなくなるんです。

農家さんを手伝って、自分でコントロールできないものに初めて触れて、
夜お酒を飲んだら、同じくらいの歳の子供がいて、年収が4分の1で、子供がお腹の中に2人目がいて、食べていけないと聞く。
『どうして食べ物を作る人が食べられないんだ。JAが悪いのか?国が悪いのか?』
悪いもの探しをしているうちにだんだんと矢印が自分をむく。
安い方が良い、全国の農漁村の衰退に間接的に関わっていた共犯者じゃないか、と。
消費者としてやれることあるべ、と変わっていくんです。

農家以外の人はそれぞれ何かの専門家な訳です。
生産者さんは口下手な人が多いから、店頭に立って代わりに喋ったり、SNSで拡散したり、レストランで営業したり。それで販路が広がっていく。

生産者の方も大消費地の消費者に会ったことはない。
消費者の世界はどうなっているのかということを知ることで、作り方や売り方が変わって行く。
都市の住民に会うことで世界が広がり、考え方が代わり、戦闘能力が上がって行く。

でも助けに来たはずの都市住民も、助けられて帰るんです。
「生きる」を助けられて帰る。

 

参加者の真剣な顔

東北大震災で生きる悩みの答えを見つけた都市住民

都会は朝起きて、スマホ見ながら仕事に行って、お金を横に動かしてお金を稼いでいる。
マウスを動かしているだけ。
人間は頭と体の均衡が取れていないと体が壊れていくんです。
お金は稼ぐけれど、身体性が欠如していき、生きることにリアリティがなくなる。

それがボランティアで訪れる東北にはリアリティの世界が広がっていた。

東北から都市に帰ると、自分の仕事も生産性が上がるんです。
都市部の人は哲学的な「生きること」に悩んでるんです。

IT関連の仕事をしている女性が相馬市にいきました。
2日間体を動かしたら、生きるってそんなに難しくないってここで教わった。
どんなことがあっても次の日に目を開ければ生活が始まるし、眠くなったら寝る。
頭で考えず、体で実感している。
その人は相馬市を第二の故郷と言って行き来している。
リアリティです。

関心があって麻原彰晃の手記を見ていた。
多くの死刑囚が書いているのは「生きる実感を得られなかった」ということ。
体を動かすことから生きるを感じてしまうから、ヨガやなんかをして、頭のいい子がなぜ空中浮遊に騙されてしまう。

それくらい生きることに悩んでいるんです。

悩みの答えが被災地にあった。
生産者と消費者のごにょごにょを取り戻しただけでなく、自然とのごにょごにょも取り返した。

都会は思い通りにならないものは経済的に効率が悪いと考えて、排除してしまう。
自分たちにとって一番身近な自然である「自分」にも、いつのまにか目を向けなくなってしまった。

もっとも目を背けているのは「死」。
アンチエイジングというけれど、なぜ年をとることが戦う相手になってしまうのか。
納期があるから仕事をしている、納期がなかったら仕事しないですよね。
人生にも締め切りがあるから、だから生きるんです。

だけど豊かな日本では「死」を感じる日常はありません。
昔は家で死を迎えていたけど、今は病院や施設がほとんど。

貧富の差に関わらず、病気が早期発見し、長寿になる。
正気を失った顔で歩いている人がなんと多いことか。
その人たちもある時に気づく、人生にも締め切りがあったがやと。
余命宣告される時に本人も家族も時間の使い方が変わって、人生が変わってくる。
もっと早く気づけばよかったと後悔する。
人生の締め切りはいつやってくるのかもわからないというのも心理。
愛するものと一緒にいたいと、明日も入れると思っていた。

被災地で困っている人の助けになりたいという子供達がぐっと増えた。
三親等以内を無くしている子供たちが人生の締め切りに気づいたんです。
それが都市住民にも広がって行った。
生と死が目の前に広がっていた。
漫然といきていたのが、明日はもう来ないかもしれないと気づいた。
上司が保守的なやつだから変わるまで待ってやろうとか、抵抗勢力があるから今は無理、とか、
それが「今」やらなきゃいけないに変わって、社内ベンチャーを立ち上げたりする人が出てきたんです。

真剣にメモをとる参加者

食事が工業化している

そうして被災地では生産者と繋がり、自然とも繋がった。
残念ながら、何年か立って元の木阿弥です。

東京には腐る程食べ物がある。
インスタ用に撮影して、一口食べてポイ。
今食べているものは生き物の死骸だと気づかない。
食べ物の裏側が見えない。
工業の世界と同じ、食べ物はガソリンです。

最近は「完全食」というものができてきている。
余った時間は仕事ができるから、効率がいい。

でもいつから人間は食べることが「栄養補給」になったのでしょうか?
ロボットですか?機械ですか?
工業食がものすごい勢いで広がっています。

食べ物の時間を挟んで他人と過ごすのは人間だけです。
喧嘩したり、愛情を育んだり、文化的な生き物です。
人間、無駄なことしてなんぼだべ。

なのにこの工業食の世界に国家的資金が流れ込んでいる。
寿司が食べたい時はゴーグルつけながら専用の錠剤飲んで。

食事だけじゃなく、セックスも煩わしい、野蛮だという人がいる。
テクノロジーがあるから、面倒なこともなくて済む。
それによってセックスレスが深刻になる。

こういう人が煩わしいと行っているのは動物的なこと。
どうして自然から離れようとしているのか、うちなる自然から遠のき、食べる、セックスをするということも近代化させようとしている。
自分には関係ないと思っていても、足元を救われます。
みんなスマホを持っているんだから。

数年前だと夢物語だと笑えたけれど、今はもう笑えない。
脳をインターネットにつなぎ、自分が死ぬ直前に冷凍させ、不老不死の技術ができた時に生き返らせる、なんてことが真剣に議論されている。

最後の自然である自分も制圧しようとしている。

 

会場の様子

日本人のもつ八百万の神と無常観を取り戻せ。

150年前、明治維新で豊かになりました。
その後、、1000年以上続いてきた地域がなくなってしまっている。
どんな争いごとがあっても営みが壊されることがなかったのに、この150年間で壊滅寸前。

150年前から西洋文化を盲信して広めてきた。
西洋近代文明は、自然を支配し、コントロールしようとする。

西洋は宗教的な側面からもそうだし、気候が安定していてデータも取りやすいからそういう考え方になる。
でも日本はどうですか?台風も来るし、津波も来るし、荒ぶる自然なんです。

だから長い歴史の中で、どう扱えばいいかを集落で知恵を集めてきた。
自然をコントロールしようなんていう考え方は生まれなかった。
八百万の神は今どこに行っちゃったのか?
鴨長明の方丈記、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
行く川の川の流れは一度たりとも同じことがない。という意味です。
日本人のメンタリティは無常観にある。

なのに考え方が変わってしまって、地方がなくなってしまうんです。
生産性ばかりを考えた国づくりをしてきた結果です。
私立大学の学生200人が集まった時に、学生に言われた。
「髙橋さん、質問があります。なぜ地方が必要なんですか?
人口減少はみんなが都会に集まって暮らすべきだ。そのくらい荒療治しないと乗り越えられない。」と。
全員の都会の仕事はできないのでは?と問うと、
「比較優位という考え方がある。みんなが得意なことをすればいい。」
彼にはなんの悪気もない。
優秀な学生です。こういう考え方をする政治家や官僚が増えていく。
田舎に行ったことがあるか?ということを聞いたら、「修学旅行で乳搾りをしたことがあります。」

水や空気を育むという体感をしたことがない人が増え、わからなくなっている。

知的障害者を虐殺するという事件と同じ。
あの事件の犯人は「内閣総理大臣が言っている通り、経済を大きくするのに大賛成だ。だから生産性がない人を自分が代わりに手を下す」とやったんです。
根本的な考え方はさっきの大学生と同じです。

都会というのは消費社会、経済社会の中で生きていく。
唯一の価値基準は「生産性」になり、それは絶対基準なんです。
それはどうなるか?
生産性のない地方なんて切り捨ててしまえ、
生産性のない障害者なんて切り捨ててしまえ、という結論に向かいませんか?いや、もう向かっていませんか?

会場の様子

生産性だけじゃない社会づくりは、1.5の人たちだけが語れる。

その逆の社会づくりは、全国各地に地域が点在し、ものを作ったりしながら生きていくという社会づくり。
15年後に気づいて腰を上げても遅いです。
だから98.5%、この人たちを変えなければならない。
この人たちを変えられるのは1.5%の中にいる人たちです。

その人たちが束になってごにょごにょしなければならない。
僕の出している答えは生産者です。

ポケットマルシェも食べる通信もメディアです。
生産者の姿が見えないと、やがて工業的食事になります。
エンゲル係数、下げるんじゃなく、上げましょうよ。

この25年、野菜の値段は上がっていない。
値段が上がっていないのは野菜だけなんです。
食べ物だけが差がている。
全国のお母さんたちが野菜が値上がりして大変だという。

だけど出費の中で生鮮食品というのはたった2%なんです。

他のことにはお金を色々使っているのに、食べ物に価値を感じていないんです。
繋がりが見えなくなってしまったからです。

98.5%の都市住民も自然の場所に行かなくても食べ物でつながれる。
毎食は無理でも、一部でもいい。
人間は80まで生きるとしたら一生で87000回も食事をする。

全部工業食になったら、第一次産業は無くなりますよ。

生産効率ももちろん大事です。数も捌かなければ食えなくなってしまう。
だから1割でもごにょごにょしながら売って欲しいんです。
それで消費者は変わって行きます。

みなさんが消費者とつながれば、消費者は食べ物が体を作っているんだと思い出すはずです。
ウンチは消費できなかったものだと思っている人が多いけど、実はついさっきまで自分だったものなんです。

1年経てば97%が変わって、全くの別人になっている。
環境汚染や食事の問題にどうしてこんなに鈍感なのかといえば、ツルツルしているからだ。

みなさんがカナリアになってください。
カナリアは危機を教えてくれる。
気候がおかしくなっている、見たことのない魚が獲れている。虫が時期外れに大量に発生している。
暑くなればクーラー、寒くなれば暖房野中に生きている人には、わからない。

今の子供たちは菌といえば、バイキンマンしかイメージにない。
子供達は自然が大好きなのに、砂も土も海も親が汚いと言って触らせない。
土と海でできたもので僕らできているんでしょう!ここは農家の出番です。

糖度なんてフードデザイナーでもシェフでも語れる。
食べ物を作り、生きるということを語ってください。
昔の農家と漁師はもっと語っていたから。
消費社会に引きずられて、最後のところだけ語らないでください。

日本の食を変えられるのは、1.5の中にいる人だけです。

集合写真

 

いかがでしたでしょうか。
短い時間の中で、髙橋さんはたくさんの気づきを与えてくれました。

気づいた時にはもう遅い。
だから自分は今、どう行動するのか。
それを問われています。

「元の木阿弥」にならないよう、何か一つ行動を変えてみよう。
それは自分からです。

 

・・・

 

髙橋博之さん

ポケットマルシェ代表取締役/日本食べる通信リーグ 代表理事/NPO法人 東北開墾 代表理事

岩手県花巻市出身で、30歳までは東京に、でもそこでの暮らしを受動的だと感じ、岩手県に帰郷されました。
そして生産者と消費者が分断されているということに気づいた高橋さんは、「東北食べる通信」を立ち上げます。

「食べる通信」は食べ物付きの情報誌。今や全国34箇所で発行される日本食べる通信リーグへと発展しました。
情報を届けることで、スーパーで買ったのとは違う「つながり」を生み出しています。

そしてさらに消費者と生産者を繋げるアプリ「ポケットマルシェ」を立ち上げ。
和歌山県内でもすでに30の生産者さんが活用しています。

 

 

記事をエリアから探す

記事をプロジェクトから探す

地域の良いモノ・ヒト・コト・バを発信

紀南Good