夏の恋は、きらめいて。
――アドベン、行かへん?
幼馴染みの海斗(かいと)から届いたメッセージ。聞き慣れた「愛称」と彼からの突然の誘いに、私は胸をときめかせた。
バスを降りると、真っ白なエントランスが見えた。チケット売り場には多くの客が並んでおり、家族連れの楽しそうな話し声が聞こえてくる。
「美波(みなみ)、行くで」
海斗に呼ばれ、私たちも列に並ぶ。子供の頃よりも逞しくて大きい手のひらは、少しだけ汗ばんでいる。8月8日、夏休み真っ只中のこの日は、とびきりの快晴だった。
地元・南紀白浜、アドベンチャーワールド。最後に来たのは中学最後の夏で、それから5年経ち、私たちは大学生になった。
「最初、どこ行こか?」
「うーん……やっぱり、最初はパンダかなあ」
入場ゲートを通り、園内を歩く。2人で相談して、最初はパンダを見ることにした。エントランスから近い「PANDA LOVE」には、3頭のパンダ――桜浜(おうひん)、桃浜(とうひん)、彩浜(さいひん)がいる。天気の良い日は屋外で遊んだり寝転んだりしているようで、そんな生活がなんだか羨ましい。
「……こっち、来て」
「えっ?」
海斗に手を引かれて少しだけ前に出ると、直後、後ろから謝罪の言葉が降ってきた。カメラを構えていたお客さんと、ぶつかりそうになったらしい。私も慌てて頭を下げた。
もう、大丈夫なのに。海斗がまだ手を離してくれないせいで、パンダじゃなくて彼のことばかりが気になってしまう。それに、顔がすごく熱い。
「パンダ、まだ見る?」
その問いに、私は顔を赤くしたまま首を横に振った。海斗が体の向きを変え、私も慌ててついていく。人混みをかき分けてパンダ舎を抜けたとき、ようやくその手が離れていった。触れられた部分は今も熱いのに、何故かちょっと寂しい。
「美波の行きたいとこ、全部回れたらええなあ」
海斗の満面の笑みに、胸の奥がじんわりと熱くなる。まだまだ見に行きたいところはあるのに、最初から海斗にドキドキしっぱなしで、私は、ずっと隠してきた「想い」が溢れそうになっていた。
昼になると、暑さが一段と厳しくなった。半袖シャツとジーパンというラフな恰好でよかったと、心底思う。
午前中は、動物三昧だった。赤ちゃんパンダ・楓浜(ふうひん)の寝顔を堪能し、ペンギンたちの仕草に癒された。「ケニア号」に乗って、野生動物の世界を一周。園内は昔とそんなに変わっていなくて、私も海斗も懐かしい気持ちになっていた。
「美波、早くイルカショー見に行こ!」
「そんなに急がんでも、イルカは逃げへんって」
フードコートで昼食を済ませ、14時からイルカショーが行われる「ビッグオーシャン」へと向かっていた。海斗はワクワクが抑え切れないのか、今にも走り出してしまいそうだった。そういえば、5年前も海斗はこんな感じだったかもしれない。私は当時のことを思い出しつつ、ちらりと海斗の顔を盗み見た。
――また来よな、2人で。
5年前、最後にアドベンチャーワールドを訪れたあの日。イルカショーの後、海斗はそう言った。嬉しさを胸に待ち続けたけれど、何年経っても誘われることはなく、次第に、期待が不安に変わっていった。海斗は、あの日の出来事を忘れてしまったのかもしれない。そう考えるだけで怖くなり、今まで一度も約束のことを言い出せなかった。
「席、空いてたらええんやけど」
「……うん」
開演20分前だというのに前方にはお客さんが詰めかけていて、私たちは上段席に座るしかなかった。目の前には巨大プールと特別ステージがあり、その奥には白浜の海が見える。素晴らしいライブ会場を前に、右隣に座った海斗は目を輝かせていた。もちろん彼は、私の気持ちなんて知るはずもない。
「マリンライブ『Smiles』」――ただのイルカショーではなくて、イルカとトレーナーが一心同体になって織り成すパフォーマンスショーだった。
10頭近くいるイルカが揃って大ジャンプ。イルカに乗って客席に手を振るトレーナー。彼らがいつ飛び上がるのか、ドキドキしながら見ている私たち。いとも簡単に、その世界に飲み込まれていった。
「ショー、あっという間やったなあ……」
本当に、一瞬で終わってしまった。周囲の客が退場する様子を眺めながら、ショーの余韻に浸る。ふと、会場に向けていた視線を隣の席に移すと、海斗が黙ったままこちらを見ていた。何かあったのか聞こうとするが、先に口を開いたのは彼の方だった。
「5年も待たせてごめん。また2人で来ようって、約束したのに」
お互いに忙しくなって、誘うタイミングが分からなくなった――続けて飛んできた、言い訳とも取れる言葉。でも、怒りの感情なんて湧いてこない。5年も待ち続けて不安だったけれど、海斗があの約束を覚えていてくれて、嬉しかったから。
「でも……なんで今になって、誘ってくれたん?」
「それは、その……やっと、決心がついたから」
いつもハキハキ喋る海斗が、少しだけ言い淀む。何の決心なのかと質問する間もなく、聞こえてきたのは――。
「俺、美波のこと……ずっと、好きやった」
言葉通りの不意打ちに、私は一瞬で耳まで真っ赤になった。パニック状態のまま隣を見ると、海斗の顔も赤くなっている。
唇が震えて上手く喋れない。恋心を自覚した子供の頃からずっと、この言葉が欲しくてたまらなかった。心臓が、破裂しそうだ。
「美波は俺のこと、どう思ってる?」
答えを求めるように、海斗が真剣な目で私を見つめてくる。あまりにも恥ずかしくて顔を隠そうとしたら、今度は手を握られた。もう逃げられない。
こんなの、ずるい――嬉しさも恥ずかしさも全部ごちゃ混ぜになって、積もりに積もった想いが溢れていく。頭の整理もできないまま、たった一言、零す。
「……すき」
太陽の光が差し込むステージに、キラキラと輝く空色のプール。
どんな輝きにも負けないぐらい、海斗の笑顔は眩しかった。