花火の夜と甘い誘惑
からん、ころんと鳴り響く、下駄の音。
真っ白な生地に浮かぶ、水色と桃色の水玉模様。
青い帯が映える浴衣に身を包み、私は、海斗(かいと)の隣を歩く。
「美波(みなみ)の浴衣姿も、ええなあ」
紺色の浴衣を着こなした彼が、さらりと、そんなことを言う。急に恥ずかしくなって、白良浜に向かう足がうっかり止まりそうになった。
付き合い始めたばかりなのに――私だけが、浮き足立っている。
8月10日、今日は地元の花火大会だ。私と海斗は大学の夏休みを利用して、白浜に帰省している。子供の頃は、花火大会があれば2人で白良浜に出かけて、屋台と花火を満喫していたものだ。今まではただの幼馴染みだったけれど、今年は――。
「それに、髪型も可愛いし……」
「もう……恥ずかしいって」
細かく編み込み、アップでまとめた黒髪。耳元を飾る白い花。いつもと違う髪型を褒められ、思わず顔を逸らしてしまう。何時間もかけて頑張って作っただなんて、海斗には絶対言えない。
一昨日、私たちは恋人同士になった――アドベンチャーワールド、子供の頃に「また2人で来よう」と約束したイルカショーの観客席。ここで私は、海斗から告白された。
口元が緩む。好きな人が隣にいるだけで、嬉しくてたまらない。
19時過ぎ、白良浜に到着する頃には来場客でいっぱいだった。どこかから流れる祭囃子に、何よりも眩しい屋台の灯り。花火が始まるまでの間、ずらっと並んだ屋台の品々に人々はいつも夢中になる。
「昔、くじ引きばっかりやってたよな。あと、型抜きとか」
「懐かしいなあ」
豪華景品を求めて、2人でチャレンジしたことを思い出す。特に型抜きはすごく難しくて、針で上手くくり抜けずに何度も失敗した。海斗も私も挑戦したけれど、今となっては苦い思い出ばかり。
人混みをなんとかすり抜けながら、屋台を見て回る。浴衣で動きづらいというのもあるけれど、ここまで混雑していると、前に進むのはさすがに骨が折れそうだ。
「美波、何か食べたいもんある? 買ってくるから、近くのベンチで座っててええで」
「私も行く。もっと、海斗と一緒におりたいし」
「……おう」
海斗が私の手を引く。彼は、前を向いたまま何も話さない。何か変なことを言っただろうか。
唐揚げ、ポテト、焼きそば、わたあめ。子供の頃から売れ筋だったメニューたちが、こちらを誘惑してくる。なかなか決められずに辺りをきょろきょろ見渡していると、ある屋台に目を奪われた。
「いちご飴、買うか?」
「えっ! あっ、待って、お財布……」
いちご飴、2本ください――横から、海斗の声が飛んできた。
まるで、ルビーのような輝き。他のフルーツも並んでいたのに、真っ先に惹かれたのは、この宝石だった。串に3個ずつ刺さった飴が、発泡スチロールのトレイに仲良く並べられていく。屋台の灯りに照らされて、いちご飴はますます輝きを増した。
「俺も食べたかったから。一緒に食べよな」
「……海斗、ありがとう」
子供の頃から変わらない、屈託のない笑顔。本当は、私のために買ってくれたんだろう。そういう優しいところが、やっぱり――。
花火が始まるまで、あと15分。いちご飴以外に買ったのは、飲み物と数品のメニュー。花火が始まる前に食べ切れるよう、唐揚げやポテトなど、軽めのものにした。
屋台が並ぶメインストリートから抜け出して、浜辺から少し離れたところのベンチを確保した。本来なら、砂浜に座って花火を見た方が楽しめるけれど、今日は2人でゆっくり見たいと思っていた。
「ゴミ捨ててくるから、ちょっと待っててな」
食べ終わった後、海斗がゴミを捨てに行ってくれた。その間に私は、白い巾着からスマホを取り出し、時間を確認した。間もなく20時、花火大会のメインイベントが始まる。
屋台の周りから徐々に人が減っていく。そのほとんどは砂浜に腰を下ろし、今か今かと花火が打ち上がるのを待っている。20時を過ぎ、協賛企業を紹介するアナウンスが流れ始めると、周囲は静かになっていった。
「美波の唇、赤くなってるやん」
「……どこ、見てんの」
みんな、空を見上げているというのに、私たちは何故かお互いを見つめている。きっと、いちご飴のせいだ。私も海斗も、真っ赤な口紅を塗りたくったように唇が赤くなっていた。
海斗が私の頬に触れ、少しだけかがむ。そして、吸い寄せられるように、お互いの顔が近づいていき――。
遠くで聞こえた轟音。一発目の花火が打ち上がり、歓声が上がる。たった一度だけ触れ合った唇が、ゆっくりと離れていった。
「海斗……顔、真っ赤やん」
「そんなこと、ないって」
海斗が目を逸らす。緊張していたのは、どうやら私だけじゃなかったらしい。これ以上突っ込まれたくないと言わんばかりに、海斗は空を見上げて、花火の写真を撮り始めた。いつも余裕のある彼が、私を意識してくれているみたいで嬉しかった。
花々が夜空で咲き誇り、その輝きが海面に広がっていく。次々と打ち上がる花火が重なり合い、完成したのは光の花束だった。私もスマホを構え、その光景を捉える。画面越しに見えるカラフルな花畑は輝きを放っていたが、満開になるとすぐに海へと散っていった。
「花火、終わっちゃった……」
全ての花火が消えた後、そんな言葉が零れ出た。周囲は賑やかになりつつも、会場を後にする人々が増えていく。大小様々な足音と、余韻に浸る人々の声が、祭囃子を少しずつかき消していった。
「……どうしたん?」
ベンチに座ったまま海斗にもたれかかり、ちょっとだけ甘えてみる。誰かに見られているかもしれないけれど、そんなことどうだっていい。恥ずかしいけれど、今はそういう気分なのだ。
「来年も……私と一緒に、行ってくれる?」
「うん、ええよ」
「……約束やで」
お互い確かめ合うように、手を繋ぐ。それは、花火の夜の――小さな約束。